日本の子供たちの学力低下の原因の一つとして、勉強に対する意欲の低下が挙げられています。勉強する意味がわからないから意欲が出てこないというのです。もし何かの意味や目的を見出すことができるならば、やる気も起こるでしょう。勉強だけではなく、仕事にしても、人間関係にしても、自分の人生に対しても、物事に意味を与えていくと生き甲斐や、やり甲斐が出てくるものです。「何故?どうして?」と原因追求することが悪いわけではありませんし、時にはそれも必要でしょう。しかし、それだけに終始していると、悩みとストレスだけが残ることになります。

ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さんは、著書の中でこう書いておられます。
早天祈祷会のために朝5時にチャペルにきて、4つある窓のカーテンを開け、冬であれば、ストーブをつけている。しかしやっている内に腹立たしくなってきた。「自分は一番年長なのに、なぜ私だけが毎日これをしなければならないのか?」「もっと遅く来れば、先に来たシスターがするから自分はしなくて済むだろう」。しかし、しばらくして思いを改めて「自分が決めたことは自分がしよう」そして考え方を変えました。何も考えずにカーテンを開けるのはもったいないから、こうしよう。一つは、2.26事件で目の前で殺されていった父親のことを祈りながら開け、一つは、子供のように亡くなっていった母親のために。一つは、もう召された兄のために。一つは、ガンで苦しむ卒業生のために祈りながら開けよう。そのように決めてから、カーテンを開けることが楽しくなりました。そればかりか、この特権を誰にも渡すまいと思うようになりました。

このように物事に意味を与えていくと、世界が変わってくるものです。私たちもより良い人生を送るためには、考え方を柔軟にして、一つのことに固執しないで、わからなくても「神の側に意味があるから委ねよう」という心の持ち方が、人生を豊かなものにしていくものだと確信します。