マクドウェル氏が回想録でこう書いている。12歳の時にリトルリーグに所属していて初試合が始まる前に、彼の父親がコーチにアイスクリーム券を渡しながら「コーチ、子どもたちにアイスクリームを食べさせてあげてください」と言った。するとコーチは「どうもありがとうございます。初勝利を上げたら食べさせましょう」と答える。すると父親は頭を横に振りながら言った。「最初の試合に負けたら食べさせてください。私は子どもたちが勝つより努力したことを認めてあげたいのです。何よりも子どもたちが神の似姿に造られた存在であることを喜びたいのです。それは野球の勝敗とは何の関係もないことです。息子が一生勝てなかったとしても、私は息子を変わりなく愛して受け入れるつもりなのです。」その時自分の父親が無条件に受け入れてくれていることを悟ったという。
世の価値観から考えると勝利することが褒美をいただくことができる条件だと思うが、そうではなく無条件に愛を与えるとは天地宇宙を造られた神のやり方に似ている。私は無条件の愛が与えられなければ人間は恐れや不安しか育まれないと考えている。なぜなら条件を満たさなければ受け入れられないからである。
 先日一人の小学生が3年ほど前から動悸があり最近胃に違和感を覚え病院でストレス性のものであるとの診断をされたと話してくれた。3年前というとその子の親が離婚して転校を余儀なくされ見知らぬ土地に引っ越してきた時期である。小さな心で起こっている様々な状況を我慢しながらストレスを溜め込んできたのであろう。恐らく誰にも甘えることができなくて、幼い妹もいるので我慢しながら生活しているのであろう。私はそれを察知して「先生には遠慮なく甘えてもいいんだよ。何でも言って」と話すと、しばらくして躊躇しながらも「こんなこと頼んだことないんやけどサーティーワンのアイスが食べたい」「わかった買ってあげる!」と約束すると「何もしてないのに、どうして買ってくれるん?」と問うてくる。「何かしたからではなく、あなたの存在が大切で大好きだからだよ」と答えた。「あなたはわたしの目には高価で尊い」(イザヤ43:4)

コロサイ人への手紙3章1~15節
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出エジプト記13章17~22節
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